日本の殺人 / 河合 幹雄

日本の殺人 (ちくま新書)

日本の殺人 (ちくま新書)

この本の内容は「まえがき」に書かれている

私の狙いは、殺人者の、眼を背けたくなるような部分にも光を当てて、実像をできるだけ多くの人に知ってもらいたいということである。

に沿って書かれています。
本全体の半分以上のページ数(150ページ以上)を使って書かれた第一章「殺人の諸相」がまさにそれで、

社会調査で日本全体の傾向を見る場合、普通サンプルは三〇〇〇必要とされる。これだと、殺人経験はゼロと出てしまう。普通の社会調査では、検出不能なほど希少ということである。

にも関わらず、様々な資料から、「どのような人によって」「どのような状況で」殺人が起こっているのかを類型化しようとしています。
そもそも「殺人」といった場合に、私たちが抱くイメージと法の定義の違いがあること、日本において多数を占める殺人は親族によるものであり、報道される殺人事件の「典型的な」被害者は実は例外であるということ等、初めて知る話もたくさん載っています。
これは体感治安の悪化にも関連する話題で、殺人が増えてるわけでないのに何故、治安が悪化したように感じるかの理由についても述べてられています。
第一章以外は短い章でしたが一番気になるのは

日本の共同体(世間)による厳しい社会的制裁と、特別な人たちによるマンツーマンの世話という組み合わせは、おそろく今後維持できない。これから、日本社会は、どうなるのであろうか。

ところです。ここでいう「特別な人たち」とは実際に殺人を犯した人たちと接する仕事をしている公務員だったりボランティアで出所後の人たちの面倒をみている人々を指しているんですが、出所後の更正とは受け入れ先がないと自己責任では無理である、という現実を考えると暗澹とした気持ちになります。
累犯障害者 / 山本譲司と全く同じ問題です。
刑務所がアメリカのように肥大化していくのが良いのかどうかマジメに考えないとダメですね。